円形脱毛症体験談

私は、中学生の頃から円形脱毛症です。中学・高校・大学と、部活やサークルには入っていましたが、頭を気にして、心から楽しんで活動したことはなく、途中で辞めてしまっていました。本当のところは、円形脱毛症を言い訳にして、諦めてきました。

 

私の円形脱毛症は、最初は、小さい脱毛ができたり、治ったりの繰り返しでしたが、そのうち、大きくなり、今は、頭部の髪の毛はほとんど抜け落ちています。なんとか、脱毛症を治そうと、ひと通りの治療は受けましたが、あまり効果はなく、そのうち、諦めモードに。

 

また、円形脱毛症でも、自分は自分と、ふっきれたこともあり、プラスに考えることにしました。僕はかつらは着けないことに決めました。カツラがずれるとか、周囲の人に気付かれるとか、そういうことに神経を使いたくなかったのです。

 

その代わりに、外出する時は、帽子をかぶりますが、それらのアクセサリーで、脱毛症を隠すのではなく、お洒落をする感覚という考えにしました。お洒落と考えると、楽しく感じ、いろいろな帽子を集めるようになり、やがて、帽子の収集は僕の趣味になりました。

 

友達に、帽子オタクといわれるほど、帽子集めにはまった私は、その経験を十分に生かせる、帽子を作る仕事をしています。趣味と仕事が両立できて、充実した毎日を過ごしています。やりがいのある仕事に出会えたのも、素敵な趣味を見つけられたのも、円形脱毛症にならなければできなかったことかもしれません。

私には、3人の子どもがいます。長男は4歳の時に円形脱毛症になりました。長男が4歳のとき、次男は2歳、そして、産まれたばかりの娘がいました。私は娘の世話に忙しく、2歳の息子は、まだ甘え盛りで、娘を抱きかかえている私の後についてまわり、私は育児に奮闘していました。

 

4歳の長男は、そんな私を見て、子どもなりに気を使ってくれたようで、弟を連れて一緒に遊んだり、私に甘えることもなく、「やっぱりお兄ちゃんだな〜」と感心していました。

 

長男と次男は、保育園に入っているのですが、保育園の先生からの連絡で、長男の頭にハゲができている事を知りました。長男と次男は坊主刈りにしているので、ハゲができれば、すぐに気付くはずなのですが、育児に忙しかった私は、気付くことができませんでした。

 

子どもの異変に気付くことができなかった、不甲斐無さを胸に、近所の皮膚科を受診しました。診断は円形脱毛症でした。原因を聞くと、ストレスが原因ならば、今から3〜4ヶ月前に、何か精神的なショックや、環境の変化があるとのこと。娘は生後3ヶ月。娘が産まれて、育児に追われ、長男に寂しい思いをさせていたのかもしれません。お兄ちゃんに成長したのではなく、成長せざるを得なかったのです。本当は、甘えたかったのかもしれません。

 

ストレスが円形脱毛症の原因の場合、その原因が無くなるまたは、軽減されれば、脱毛症も改善していくということなので、娘や次男だけではなく、長男にもなるべくかまうように、安心して甘えられるように、環境を改善していきました。

 

今は、薄くではありますが、髪の毛が生えてきています。このまま髪の毛が生えそろってくれることを願うばかりです。そして、これからも、3人全員に同じだけ、愛情と安心を与えて行きたいと思っています。

私は円形脱毛症を克服することができました。しかし、克服するまで、とても長い年月と辛い思いをしてきました。私には、高校生のころから付き合っている彼氏がいました。自分で言うのもなんですが、背が高くてスポーツマンのかっこいい彼と、けっこう美人でキレイなストレートの長い髪の私は、学校では評判の美男美女カップルと言われていました。

 

高校ではいつも一緒だった彼とは、就職を期に遠距離恋愛になりました。アルバイトをしたことがなく、仕事をするということが初めてだった私は、懸命に仕事をこなそうと必死でした。また、職場では仕事だけではなく、人間関係も大切。しかし、人間関係がうまく行かず、私は、いじめの対象になってしまったのです。人生初めての挫折です。

 

1日のほとんどを過ごす職場での嫌がらせに、精神的にショックを受け、入社して4ヶ月、私の頭に円形の脱毛が出てきました。髪は女の命なのに、その髪の毛がみるみる抜けて、全ての髪の毛が抜け落ちてしまいました。

 

私は、遠距離恋愛だった彼に、正直に病気のことを話しました。そして、彼からの連絡は途絶えました。職場でのいじめは止む気配はなく、彼とはダメになり、あまりの辛さに死んでしまおうと、自分の持っている薬を全て飲んだこともありました。でも、そんなに大量の薬が手元にあるわけもなく、結局、死ぬ勇気もありませんでした。暴飲暴食し、衝動買いを続け、自暴自棄になっていました。精神的にも限界が来ていました。

 

私は、全てが嫌になりました。仕事を辞め、私を知らない場所に引越し、衝動買いしたものを処分、全てを捨てました。すると、不思議なことに、気持ちが楽になり、開放された気分になりました。このままの自分でいいじゃないかと思えるようになったのです。

 

それからの私は、円形脱毛症という病気を受け入れ、治療を始めました。規則正しい生活と、投薬のために食事を3食しっかり食べました。そして現在、円形脱毛症は完治しました。今では、自分を変えてくれたのも円形脱毛症のおかげかなと思います。

私は今、25歳。わずか7歳の時に円形脱毛症との付き合いが始まりました。10歳までは、治る、改善の繰り返し。そして、13歳の時にとうとう、ウィッグ着用という運命になりました。しかし、ウィッグ着用中も、円形脱毛症の治療は続けていたので、2年後の15歳の時には、髪の毛も生えてきて、ウィッグを卒業しました。うれしさもつかの間。その半年後に再発。ウィッグ再着用。現在の私の髪の毛は、頑張って多少は生えているが、治る気配はなく、ウィッグ着用のままです。

 

今までの人生のほとんどを、円形脱毛症と一緒に歩んできましたが、最近の私は、髪の毛のことで悩むことが無くなりました。円形脱毛症との付き合い方を変えるきっかけとなったのは、1年ほど前のテレビ放映です。ある脱毛症患者がテレビの取材を受けていました。その人は、明るい茶色でナチュラルウェーブのかかったおしゃれなウィッグをつけ、力強い瞳で生き生きと、人生論を語っていました。私は、その人の前向きな考えに心を打たれ、同じような格好をしてみようと思いました。

 

以前は、自分は円形脱毛症だからということで、おしゃれをすることも、楽しむことも、全て諦めていて、仕事にも就かず、ただその日だけをなんとなく生き、治療も生活改善も、なにもしませんでした。でも、外見が変わったことで、考え方も変わってきました。外に出てみようと思った。

 

私は、円形脱毛症の人達の集まりに参加しました。みんなとても前向きで、教えられることが多く、私の円形脱毛症に対する考えが180度変わりました。そして、アルバイトではあるが、仕事をするようになりました。無職だった私にとって、働くことは本当に大変で、毎日四苦八苦。怒られてばかりだし、人間関係は難しいし、落ち込みます。でも、今の自分の悩みは、仕事のことであって、髪のことではないんです。

 

私は、円形脱毛症で、もともと悩むタイプ。その自分の限られた環境の中が、楽しくなるのも、つまらなくなるのも、自分次第なんです。円形脱毛症でも、悩みながらも明るく笑顔で頑張っている人達がいる。私も負けられない!と思いました。

私が、円形脱毛症を発症したのは、小学校低学年の頃です。私自身は、脱毛していることに気付かず、ある時、母親に言われて初めて気付きました。脱毛した部分は、他人からは分かりづらい場所だったので、気にすることはありませんでした。周りのクラスメイトも気付くことはなく、いつのまにか、脱毛は治っていました。

 

しかし、小学校高学年の時に、再び脱毛が始まりました。はじめは、左と右に小さい脱毛部分ができました。とても気になって、何度も触ったり、学校のトイレの鏡で見たりしていました。すると、どんどん広がって行き、最終的には、頭の髪の毛が全て抜け落ちてしまいました。母と一緒に近所の皮膚科へ行き、円形脱毛症と診断されました。病院でかつらメーカーの紹介を受け、そこで、オーダーメイドのカツラを作りました。

 

僕は、かつらをつけてから、かつらがばれないように気を使い、かつらがずれないように気をつけ、その結果、存在の薄い少年になってしまいました。友達ができることもなく、中学校までは、辛い毎日でした。

 

高校に進学する時に、自分を変えようと、地元ではなく、登下校に1時間以上かかる高校に通うことにしました。なんとか、友達ができましたが、円形脱毛症であることを言うことはできませんでした。大学では、病気のことを言ったことで、親友ができなく、悩みました。サーフィンに興味がありましたが、円形脱毛症のことを考えると、始める勇気はありませんでした。

 

自分はどうして、こんなに辛い人生を歩んでいるんだろうと、精神的に限界を感じていたとき、円形脱毛症患者のための会があることを知りました。自分と同じ境遇の人達は、どんな気持ちで、どんな生活を送っているのか気になり、思い切って参加してみました。

 

会員のみんなは、自分と同じ円形脱毛症なのですが、明るく前向きな人がたくさんおり、自分だけが辛いと思っていたことが、恥ずかしくなりました。会員のみんなと話をしていくうちに、勇気が湧いてきました。

 

私は、高校時代からの友人に、自分の病気のことを話し、かつらを脱ぎ、スキンヘッドを見せました。驚いたようですが、なんとなく分かっていたそうです。友人は「正直に話してくれてありがとう」と言ってくれ、私は、うれしさと申し訳なさでいっぱいになりました。今では、その友人が親友です。自分が変われば、周りも変わるということを知りました。

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